日本の中の韓国(最終回)



日本人至上主義が生んだ三角関係

鈴 木 雅 子



■ それでも私は日本人


 在日韓国社会に飛び込んで1年が過ぎた頃には、よそ者意識を拭いきれずに恐る恐る取材を行っていた当初と違って、取材の声がかかればどこにでも飛んでいけるようになりました。いつのまにか私は、在日社会の側から見た視点で物事を考え、話し、行動してきたように思います。  

 在日に対する差別、非難発言は自分のことを言われているように腹が立ちます。「私たちは」という時、私は日本人としてではなく在日韓国人として発言しています。私の視線は在日社会から日本社会を見るようになっていました。  

 「鈴木さんは日本名を使っているけど在日でしょう?」  

 ある日、読者からかかってきた電話です。「いいえ、日本人ですよ」「うそでしょう。在日でなければ書けない記事ですよ」と仰いました。  

 なんとありがたい言葉でしょうか。在日社会に携わって一番嬉しかったのが、この電話でした。今後同様のことを聞かれたら「ええ、在日です。でも私の祖先が何代、何十代前に日本にやって来たかは不明ですので、自分が何世か分らないんですよ」と答えようと思ったものでした。  

 ところで韓国オタクという言葉があります。何かのきっかけで韓国の歴史や文化に触れた日本人が、韓国1本にのめりこんだ挙句「韓国至上主義」に陥ってしまうことを揶揄した造語です。  

 私の場合、在日社会から入ったために「韓国オタク」として「韓国は素晴らしい、それに比べて日本は」的な発想には至りませんでした。在日韓国人は、本国に愛着を持ちながらも、けっこうシビアな目を向けていたからです。とくに若い人たちは冷静でしたから、彼らとともに「在日論」を戦わせ、厳しい議論を行うこともありました。  

 しかし、重要なことがひとつあります。私は日本人です。たとえ百%在日の立場を理解した上で活動していたとしても、所詮は日本人。ずるい言葉で言えば「逃げ道」を持っているのです。  

 秋も深まったある日、陸海空の自衛隊による音楽祭が武道館で開催されました。自衛隊創立40年の記念大会でした。実をいうと私は、陸上自衛隊婦人自衛官教育隊、通称WACの第20期卒業生です。その縁もあり、軽い気持で音楽祭に出かけたのです。  

 全国から集まった自衛官たちによる演奏や和太鼓、訓練された演技の数々を見ていて、突如私の心に日本人として生まれた自分を誇りに思う気持が沸き起こりました。  

 国籍問題、地方参政権、結婚、就職、その他もろもろ在日の人たちが抱えている問題は、決して私には降りかかってきません。生れ落ちた瞬間から私には日本国籍がついているからです。果たしてこんな私が在日社会で偉そうな言葉を振りまきながら歩いていいのでしょうか。  

 手に負えない問題にぶつかった時、私は逃げ出すことができます。気が向かなければ「在日なんか関係ない」とばかりに、突如日本社会に復帰することもできます。でも、在日社会に生まれた人は、生きて行く過程で様々な困難にぶつかります。決して避けて通れない道が待ち構えています。日本で生まれたばかりに、本国人にも理解できない「何か」が終生ついてまわるのです。  

 現在、在日の若者達はその9割近くが日本人と結婚しています。生まれた子供たちは成人すれば日本か、韓国かどちらかの国籍を選択しなければなりません。必然的に在日コリアンは減少してゆきます。  

 在日社会は、日本の1億3千万人のなかで、日本国籍取得者も入れてわずか百万人。同胞同士が出会うきっかけはとても少なく、たとえ運良く知り合えたとしても古い慣習に囚われた親世代によって、やれ生年月日がどうの、易の相性が悪いだの、本籍地がダメなどと結婚に反対されるケースも多く、泣く泣く別れさせられたり、あるいは結婚しそこなったりといった人たちも結構多いのです。在日の結婚問題は非常にデリケートで扱いづらく難しいものがあります。  

 かといって、未だに偏見と差別意識が強く残っている日本で、日本人と結婚しながら、韓国人としての伝統文化や習慣を維持していくのは極めて難しいという現実があります。  

 とにかく、戦後50余年のなかで生まれた「日本人対在日」「在日対韓国人」「韓国対日本」という複雑な三角関係を「韓国と日本をつなぐ在日」の図式に変えていくことは出来ないものでしょうか。せめて私にできることは、日本人であるがゆえに、日本人から見た在日社会の問題点、欠点も含めてもろもろ指摘できること。日本人だからこそ、日本社会に対して誤解のない在日社会を深く知らしめ理解を得る活動ができるのではないかと思っています。  

■ 在日の地方参政権に関する誤解

 戦後残留の在日韓国・朝鮮人を1つの定義にはめ込むとするならば、一番適切な言葉は「戦争難民」ではないでしょうか。東西冷戦構造の狭間で朝鮮半島は38度線で分断されたまま現在に至っています。

 この間、戦後の日本国新憲法では在日韓国・朝鮮人だけでなく在日中国(台湾)人も「参政権で基本的人権が付与されていた日本国民」の立場から、一方的に「当分の間外国人」という、あいまいな地位に追いやられました。

 納税義務だけは背負わされていますから、在日定住外国人は日本人に支払われている戦後犠牲者援護基金、軍人恩給、遺族年金などを負担しながら、在日には支払われないという立場に追い込まれていました。

 さらに、日本の法律によりますと2百条以上の法的差別(国籍条項)があるため、在日定住外国人は職業選択の自由も奪われてきました。日本に住む多くの在日が零細加工業者、下請けのそのまた下請け、自営業、風俗、し尿処理、スクラップといった職種に偏っていたのも法律の壁があったからです。

 しかも法律によって、在日韓国・朝鮮人の人たちには選挙権がないままです。ある政党の大幹部が「彼らに地方参政権を付与するには日本国憲法を改正しなければならない」と発言したことがありますが、とんでもない誤解です。なぜならば、日本の植民地であった韓国・北朝鮮の人たちには参政権があったからです。  

 昭和21年11月3日、天皇および国会と内閣によって日本の新憲法が施行されました。この時点で残留韓国・朝鮮人・中国(台湾)人は、法的には日本の国民でした。朝鮮人の議員さんもいました。当然、憲法の公布時には選挙権がありました。  

 ところが6カ月後の昭和22年5月2日、新憲法の施行直前1日前、法務省民事局長通達によって「当分の間、外国人とみなす」と一方的に国籍を取り上げられ、戦時中の敵性国人または戦争難民のごとき扱いの「外国人登録令」と「入管法令」の適用を受け、厳しく監視される立場になりました。パスポートには「日本国民は、等しく日本国から保護される」と書かれておりますが、当時日本国民としての権利を持っていた彼らの意見も聞かず一方的な措置を断行、残留在日外国人たちは日本社会で阻害される立場となってしまいました。  

 戦後の欧州でも似たような問題が発生していました。しかし欧州各国は自国に残留した外国人の権利として、当時、国籍選択権を認めております。自国民になるか、ならないかを当人たちに問うたのですが、日本では個人の権利などは一切無視されたまま今に至ったのです。  

 敵性外国人としての立場に彼らを追いやり、法的、社会的に差別を行った結果、在日の多くは通名を使用するなど表面的には日本人のふりをしつつも、決して日本に帰化しないことで民族の誇りと自らのアイデンティティを守ろうとしました。それが在日社会です。  

 さて、今日、国籍がアイデンティティにはなりえないグローバル化社会が到来しています。若いコリアンたちが本名を名乗り、日本の大手企業に就職するなど、国籍差別の壁はかなり薄れておりますし、本名で帰化する人たちも増えてきました。コリアンジャパニーズの時代に入ったのかも知れません。ところが…。  

「チョーセンに帰れ!」

 この言葉は、つい先頃、韓国籍から帰化した教師に日本人の同僚教師が議論の場で投げつけた言葉です。子供たちを導く教育の場にあって、決して言ってはならない言葉です。日本人の潜在意識には、差別意識がまだまだ根付いているようです。

 日本が真の国際化を主張するならば、私たち日本人の奥底にある日本人至上主義なる偏見を取り除かねばなりません。

 私は在日韓国社会だけでなくアジアの歴史についての知識もない、いえ、知ろうともしなかった大多数の無知な日本人の1人でした。その大多数の無知な日本人の生活を支えているものは何でしょうか。日本人だけで生きていけるのでしょうか。

 日本に繁栄をもたらしたもの、簡単にいってしまえば貿易です。世界のあらゆる国に商品を買っていただいたお陰で経済大国日本が出現しただけのこと。日本の歩みを、今他の国々が辿っています。かつて安かろう悪かろうと言われた日本製品が一流製品となったように、まずは韓国、台湾が、そして中国が世界の工場としての地位を不動のものにしつつあります。

 良かれ悪しかれ世界の経済活動は密接に結びつき影響を受けるようになりました。一国のみの繁栄はありえず、また鎖国も不可能です。となりますと、日本の安泰とは国際社会の安泰であり、逆も同じです。

 国際社会が日本に求めているものは何か。真の国際化にほかなりません。それにはまず日本人が偏見を捨てて国際人としての自覚を持つことです。今のままですと日本は「アジアの隅っこにある小さな島」としてアジア社会に見捨てられる日が来ます。    

 日本社会の凋落は在日社会の凋落に、また在日外国人社会の衰退も日本社会の衰退にと、全ての要因は密接に絡み合っています。同化でも対立でもなく、日本社会と共生できる在日外国人社会の実現、これこそ何よりも必要なものではないでしょうか。(了)  

★終わりに

 本文は在日社会について書いたものですが、単なる在日論の積りではありません。同和固定策による地域差別やオーバーステイ労働者に対する偏見、アジア女性の人身売買に無関心な日本人など、無知による「差別する心」を私たち1人ひとりが持っていることを自覚していただきたいとの思いから、崇仁協議会のHPをお借りしいたしました。今後も「差別」をテーマに様々な分野を取り上げていく予定です。ちなみに次回は「アジア女性の人身売買・性の二重差別」を予定しています。ありがとうございました。(鈴木拝)     



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