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| 部落の歴史から ■ 差別する側とされる側の矛盾 部落民や沖縄の人たち、アイヌ、そして在日韓国・朝鮮人など社会の少数派は、それぞれの出自により長年差別されてきた。このなかで最も多い被差別者が部落民であり、全国6000ヶ所に部落が存在していた。 部落差別を、アイヌ問題や沖縄、在日韓国・朝鮮人問題と同一視することについて異論はあると思うが、人の出生という根本において不当な扱いを受けた点では共通している。 17世紀以後、沖縄の歴史は抑圧の歴史であった。島津藩の侵略から今日に至るまで、かつては武力で、今日では経済力によって本土の支配下に置かれている。今でこそ沖縄の文化的独自性に注目が集まっているものの、ほんの少し前までは、彼らの琉球語や彫りの深い容貌などとあいまって、仕事を求めて本土に渡った人々の多くが差別に苦しめられたのである。 アイヌもまた、征伐されるべき対象として過酷な支配を受けてきた。言語、風俗、宗教などが和人と大きく違っていたため劣った存在として区別され、北海道支配の政策のなかで強硬な同化を強いられた。彼らは自然のなかの霊的存在たる「神」(カムイ)と共存する独自の文化を築いていたが、その素晴らしい文化的資産は今日殆ど崩壊している。 在日韓国・朝鮮人もまた、近代日本がでっち上げた日本人の優秀民族幻想のもとで、劣った存在として扱われた。日本にとってそれは他民族支配を正当化する根拠であった。 しかし、日本人の深層心理には他民族支配に対する罪悪感が刻まれ、それが関東大震災におけるデマを端緒にした朝鮮人の大虐殺につながっている。 差別する側と差別される側。ここで私たちが勘違いする部分を指摘しておきたい。どのような環境で生まれ育ったにしろ、私たちはアイヌや沖縄、朝鮮半島、あるいは部落民として、長年差別されてきた人達と同じ血脈を受け着いていることだ。差別する人たちは、自分を正当な日本人であるかのように勘違いしているだけである。 もしかしたらあなたには、日本を支配した側の遺伝子よりも、同化させられ滅びていった人たちの遺伝子が色濃く刻まれているかも知れない。縄文から弥生という歴史の大きな変動にしても、そこで縄文人の血が絶えたわけではない。弥生人と交じり合いながら、あるいは他民族の血を受け入れながら、私たちの肉体が出来上がっている。ヒトを差別する矛盾に、私たちは気づくべきである。 ■宗教が果たした役割 今日、いずれの宗教においても「万民平等」をうたっている。人々はこの平等思想に基づいて、自分自身は人を差別していないと思っている。もし差別される対象があるとすれば、それは差別される側のほうが悪いのだと彼らは考える。ここに差別問題の難しさが存在している。なぜなら彼らには、差別の現実と本質が見えていないからだ。 一方で、差別されている側と積極的に関わっている人達がいる。多くの場合彼らは救われた側から救われない側を同情するという、無意識にせよ上から下を見る視線である。そのため彼らの活動は、差別される側の依存心を増長し、主体性を失わせる結果となり、部落民自身の自立を阻害してきた面がある。 もちろん宗教者たちは懸命に支援してきた。問題は、そのなかに部落民を「引き上げる」という意識があったことだ。普通の人々が暮らす社会に彼らを組み入れようという態度であり、この運動は部落民が主体ではなかった。 部落の起源は徳川時代の身分制度にさかのぼる。下克上を許さない社会を作り上げることが幕府の安泰につながるため、士農工商が定められたが、実際は農民が一番下位の存在であった。農民たちの不満を振り替えるための存在が部落民であり、当時幕府はこれを「穢多」と「非人」に分け、相対立させる政策を取っている。 1971年(明治4年)、明治政府は「解放令」を布告し、徳川時代から連綿と続いてきたこの身分制度に終止符を打った。しかし、行政上の配慮がともなっていなかったため、差別は相変わらず温存されてゆく。 部落民の自主解放をうたった水平社が設立されたのは、1922年3月3日だった。水平社の活動は、戦中戦後を経て部落解放同盟へと受け継がれてゆく。こうした活動が実り、同和対策事業特別措置法などが成立したのは1969年のことである。 今日、日本では部落民に対する差別が消滅したことになっている。とんでもない誤解である。日本人の深層心理には部落民を含めた少数者に対する差別意識相変わらず現存しているからだ。 もちろんこれは、ごく一部の「エセ同和」活動によって、差別の本質がゆがめられたこととも関係してこよう。しかし、解放同盟や在日コリアンの運動体が、普通の人々が暮らす社会から「過激な運動」と捉えられたのはなぜか。これについて日本人はまったく理解していない。それほど我々は、差別を差別だと意識せずにいる。 無意識の差別意識が我々に深く刻まれているのはなぜか。この根本原因をたどると、政策上の身分制度を助長してきた存在に行き当たった。宗教である。 ■ カーストを克服した原始宗教の変質 ゴータマ・シッダルタ(釈迦)の哲学は、カースト制度を合理化したヒンドゥーを克服したものであった。原始仏教は「業の思想」「輪廻の思想」を打ち砕き、真の平等をうたったものである。 ところが、6世紀以降日本に伝来してのち、仏教は再びヒンドゥの思想をまとうようになる。ここに古代天皇制の位階制が結合して、身分差別が定着していく。仏教は鎮護国家の宗教として体制に迎合しなければ維持できない側面があったからだ。 たしかに長い歴史のなかでは、一向一揆など政権に対抗する動きも起きている。だが、徳川時代の長期政権のなかで、次第に宗教は政治の道具として立場を固定してゆく。部落民の墓石や過去帳にあった「革男」「革尼」「畜男」からは、「万民平等」を忘れ体制に迎合した宗教の姿が見える。 こうしたことは仏教に限ったことではない。神道においても同様だった。不浄を嫌い清める伝統を持つ神道もまた「不浄の民」として部落民を差別したため、非差別者は、収穫を祝う神の祝福を得ることが出来なかった。氏子の加入をこばみ祭りに参加させないなどハレの日をともに祝うことは許されなかった。天皇制を支える柱の役割を担った神社神道もまた、差別を助長したといっても過言ではない。 現在の宗教は、いずれも体制に迎合した安定派の名残りである。体制に逆らう宗教は国家から潰されてきたからだ。宗教者に担わされた役目は民衆支配の役割を務めることである。 民衆救済を訴えた浄土真宗や日蓮宗上も、社会体制に組み込まれていく過程でこのような役目を担うようになっていった。天皇を頂点にしたピラミッド型のムラ社会で、身分を固定し体制維持を正当化するのに役立ったのがヒンドゥの「業」と「輪廻」思想である。 しかもここには、被差別者を「天皇の赤子」として観念的に救い上げるための道具が隠されている。被差別者の不満をそらせ、良民にしておくための仕掛けといってよい。 私が言及したいのは、この思想こそが部落民にとどまらず、アイヌや在日韓国・朝鮮人差別、沖縄問題、そしてアジアに対する排外主義を生み出したことだ。日本人がこれらの苦しみに鈍感であり、見て見ぬ振りをするのは元をたどればこの点に行き着く。 我々に求められているのは、歴史の負の部分を払拭し、一人一人の生き方を尊重できる社会を築くことではないだろうか。(ジャーナリスト・鈴木雅子)
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