街角ストーリー
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たとえば、人を表すのに良く使われた言葉に「要領」がある。一昔前なら 「あいつは要領がいい」といわれる場合は、殆どが悪口だった。 要領の悪い人とは「真面目・融通が利かない・率直」など、一本筋の通った人を指し、要領の良い人とは、人の顔色を見てうまく立ち回るズルい人という意味で使われていたのだが、現代社会で損をせずに世渡りするには要領が必要であることから、ほめ言葉とけなし言葉が反対になってしまったわけだ。 そういえば、人情という言葉を聞かなくなって久しい。これも「要領」と同じく、情に厚い人は「損」をするとばかりに、現在ではないがしろにされている。しかし、みなが貧しかった時代は隣近所で助け合う「人情」が隅々にまで行き渡っていた。 京都・七条川原町。京都市街から三十三間堂へ向かう七条大橋の東に「春ちゃん」と看板に大書きされた屋台がある。おでんやお好み焼き、うどんなどを商う山本春江さん(80歳)が40年以上も前から続けている京都の名物屋台だ。春江さんのことを地元の人たちは「うどんや春ちゃん」と呼ぶ。 ![]() 「何してんねん。早う入って座りなはれ」 春ちゃんがおばあさんにかけた言葉は、京都人にしてはぶっきらぼうだが、情がこもっている。おずおずと席に着いたおばあさんの前に、湯気の立つ暖かいうどんがそっと置かれた。おばあさんは、そのうどんを一口一口かみ締めるかのように食べ出した。 春ちゃんの店の看板には、こう書かれている。 「その日の食事代にもお困りの方、心温まるうどん一杯、またはおでん一皿、無料にて提供させていただきます」 貧しい崇仁地区では、その日の食事代にも事欠く住民もいる。仕事にあぶれた労働者、体の不自由な障害者、年金でかつかつの生活を送っている高齢者などなど。 食事を終えた客が一人、二人と席を立つ。「次に来る時まで死んだらあかんで」「風邪引きなや」などと、誰もが春ちゃんに声をかけていく。 うどんを食べ終えたおばあさんに、春ちゃんが 話しかけた。40年以上も商売をしていれば、このおばあさんが今どんな境遇にあるのか、春ちゃんには一目でわかる。 おばあさんはポツポツと語りだした。7年前に息子を亡くして以後、家政婦やビルの清掃などをしながら全国を放浪してきたこと。年老いて仕事が無くなり、残飯を漁って空腹を癒したこと。死に場所を求めて京都にたどり着き、街をさまよっていたら、提灯の明かりが目に入ったこと…。 春ちゃんは、そんなおばあさんの話にうなずきながらも、決して同情の言葉はかけない。 「どうせ朝まで商売してるんやから、今晩はここで温もっていき」と、夜食用のパンを半分ずつに分けて一緒に食べた。 春ちゃん自身、決して幸せな人生を歩いてきたわけではない。それに、もしかすると目の前のおばあさんより春ちゃんのほうが年上かも知れない。 七条川原町で生まれ育った春ちゃんの家は貧乏だった。小学校の頃から家計を支えるためにお母さんが作った惣菜を背負って売り歩いていた。 春ちゃんが結婚したのは18歳のときだった。夫は病弱で家計は火の車。屋台を始めたのはそのためだ。 夫が亡くなったとき、春ちゃんには500万円もの借金だけが残された。女手だけで6人もの子を育てるのがどれほど大変なことか。屋台をたたんで料理店で働こうかと考えたこともある。夏の暑さ、冬の寒さのなかを、仕入から仕込み、店じまいまで、すべてひとりでやってきた。 それでも屋台を続けようと決意したのは、その日の食事に事欠く人のための無料うどんの提供という自分で決めた約束だった。 40年の間にはいろんなことがあった。なかでも忘れられないのが、孫を連れて清水寺にお参りしてから心中しようとした初老の女性のことである。息子が亡くなったあと、嫁が子供を置き去りにして逃げてしまい、生活費は底をついてしまった。この女性は七条大橋のたもとで孫と手をつなぎぼんやりとしゃがみこんでいたという。 このとき、春ちゃんは怒った。 「あんた一人で死ぬんなら好きにしたらよろし。そやけど、この子の人生はこれからやないの。そんな子の命を絶つなんて、あんたの傲慢や!」 そういって春ちゃんは自分の財布からなけなしの3万円を取り出し、女性に握らせた。 痛い思いをしてきた人は、人の痛みにも敏感になる。人の痛さがわからない人間だらけの世の中で、春ちゃんの人情屋台は航路を見失った船を吸い寄せる灯台のように今夜も温かい輝きを放っている。 春ちゃん自身も年老いて、体のあちこちにガタがきた。病院通いの毎日だが、それでも春ちゃんは店を開ける。人情屋台は数え切れないほどの人を力づけ、励ましてきた。そして春ちゃんも、屋台を通して出会った多くの人たちから励まされてきた。 春ちゃんの人情屋台は週刊誌やテレビでも取り上げられたことがある。前述の、孫と心中しようとした女性が、春ちゃんから生きる力を貰ったと新聞に投書したからである。しかし、春ちゃんにとっては有名になるよりも、毎日おいしいうどんを作ることのほうがずっと大事なのである。
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