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耳塚供養と地域のかかわり ![]() 壬辰倭乱当時、倭軍らが戦利品として切り取った我ら先祖の耳を埋めた日本京都豊臣秀吉神社前の耳塚を、国内(韓国)に移そうとの作業が本格検討されている。 耳塚還国運動を繰り広げているのは釜山慈悲寺住持・朴三中和尚。同和尚は16日、京都耳塚保存会の同意を得て耳塚還国のための具体的な準備に取りかかることを明らかにした。 耳塚保存会は、京都市地方文化財となっている耳塚を保存・管理している民間団体で、耳塚還国は保存会の提案によるもの。同会が朴三中和尚に「私たちは1990年に耳塚の霊魂を奉安いたしました。残った耳塚も奉還しては」との要旨文を送ったことから具体化した。この時、耳塚保存会では耳塚の土を韓国に運搬する費用などを負担する積もりだとの意思を明らかにしている。 これにともない朴三中和尚は、去る12日日本を訪れ耳塚保存会と耳塚還国問題を協議するとともに、現地の耳塚において保存会の会員たちとともに耳塚韓国奉還のための「耳塚還国法要式」を行った。 耳塚の前で朴三中和尚は「豊臣秀吉のための戦利品として耳を切り取られ、しかも豊臣秀吉を祀る神社の前で、400年もの間侮られてきた12万6千余祖先の恨を晴らし成仏してもらうには故国奉還しかない。これは子孫たる我々の義務だ」と語った。 残る問題は、京都市の公的な許可と我々(韓国)の準備である。 還国の許可を得るために耳塚保存会では、会員をはじめとする京 都市民約2万名の署名を集めて京都市に嘆願した。(釜山・朴柱栄記者) ■ 耳塚返還要求書(韓国・ニュースメーカー/1996年2月) ![]() この日の行事には京都市の政治家と大学教授、宗教人ら2百余名の指導者人士らが参席、彼らが制作した大極旗をさし慰霊祭を催した。時事通信、読売新聞など日本国内の言論も多大な関心を示していた。 「悔しい思いで亡くなった先祖の肉身が、遅ればせながら故国に戻ることとなり幸いです。霊魂還国に続いて、実体を奉安しようと努力を傾けて来ましたが、日本耳塚保存会の積極的な応援のお陰でその夢の実現が可能になりました」 耳塚還国推進作業は、1982年、朴三中和尚が偶然日本で耳塚の存在を確認してから14年目のことである。90年4月、耳塚周辺の土を祖国に安葬、霊魂還国式を挙行し、続いて今度は肉身まで奉安することとなったのである。 日本の耳塚保存会は、トラック16台分に達する封墳と塔の運搬費用など、還国に必要な全ての経費を負担する予定である。 しかし未だ解決されるべき問題が残っている。今度の耳塚還国が民間次元でなされたので、日本政府の立場表明が行われない限り移葬は実現できない。 そこで日本耳塚保存会は、還国推進委員会を構成し「耳と鼻を戦利記念品として保存すること自体が、日本人の残虐かつ非人道的な面を自認するようなものである」と、耳塚還国国民署名運動を繰り広げるなど、日本政府に還国許諾を要求中である。 朴三中和尚も文化体育部に日本との具体的な協議を要請する計画で「日本の間違いであるが、日本の手に任せておくべきではない。我々が直接奉安してくるのが孫としての道理です。韓日関係を清算しましょうと言いながら、このように重要なことを放置しておくのは間違ったことです。今からでも政府レベルで耳塚還国に積極的に取り組むべきです」と語った。 壬辰倭乱当時、倭軍らが成功記念物として12万6千余名の耳鼻を切り取り、塩漬けにして豊臣秀吉に捧げた後に埋めた耳塚には、他の戦利品と朝鮮侵略に関する資料などが一緒に埋められているという。(朴尚容記者) ■参考文書「朴三中和尚の耳塚返還要求書」 韓日間の歴史は、いにしえより数知れないほど、日本の朝鮮侵略の傷跡が至るところに残存しています。特に1592年〜1597年の間、2度にわたり(文禄慶長の役)豊臣秀吉の蛮勇による朝鮮侵略では、善良な農民や妊産婦までを諸共に虐殺、その死体より耳鼻を切り取って豊臣秀吉の前に持参、その数によって功を讃えられたのであります。 このような天人共怒の蛮行は壬辰倭乱7年間の間、数万の死者より切り取った耳は、京都豊国神社の前に塚を設けられ、400年間、日本人の誇りとも言うべき観光資源に供してきたのであります。 この事実は、人類歴史に例のない残虐であり、知性文明国といわれる日本に未だに存続しているのは厚顔無恥な野蛮人としか理解し難いのであります。韓国人としては、これに対する敵愾心はもちろん祖先たちの徹天怨恨はいつまで経っても消し去ることは出来ないのであります。 このように不幸な歴史的遺物は一刻も速やかに韓国に返還移葬し、400年間も異郷の地に埋められている英霊の永遠なる極楽往生を推度し、その痛恨を鎮め晴らすことを痛切に念願いたし、6500万韓国人の名を持って、耳塚返還を要求するのであります。1995年12月 大韓仏教曹渓慈悲住持/韓日仏教福祉協会会長 京都市下京区豊国神社前 耳塚保存会御中 ※追記 耳塚供養は毎年10月に耳塚保存会の主催で行われているが、残念ながら現在にいたっても耳塚の還国に対する日本政府の許可は下りていない。
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