/崇仁地区の現状


崇仁地区の現状



「同和」と聞いて皆様はどう思われるでしょうか……。

 私たちは、この名称自体が差別の認識票であると実感しています。明治の解 放令によって「平民」と「新平民」とに分けられたように、名称 としての表現が変わっただけに過ぎません。残念なことに人々の 意識下では差別の認識に何の変化も見られません。

 実は、この差別意識を助長するものとして、国・地方行政の施策 「同和特別地区」の指定による差別の固定化があります。私たち の住む崇仁地区も「同和特別地区」に指定され、隣の地域と線引 きされています。

このように「ここから先は同和地区だよ」と線 引きされた結果、私たちは地域社会と隔絶されてしまいました。

 その結果どうなったか、私たちの住む地域はさびれる一方です。 大きな原因は、差別回避のために「同和特別地区」から住民 の脱出が加速したことによります。

 崇仁地区では、昭和35年の世帯数は約3,000 世帯(約10,000人) でしたが、現在は約1,200 世帯(約2,700 人)にまで激減してい ます。現在、崇仁地区の小学校・中学校の生徒数は、各学年に1 クラスとなってしまいました。地域は確実に高齢化しつつあり、 あと20年もすれば4百世帯を切ることは明らかです。

 もちろんこれは全国の農漁村地域にも見られる現象で、過疎化は 崇仁地区だけの問題ではありません。しかし、崇仁地区は京都駅 前という最も便利の良い地域です。隣接地域は都市機能の拡充に より活性化しています。

明らかに崇仁地区のみが同和行政の犠牲 となり、アンダーグラウンドの地として時代に取り残されている のです。

 この現象は、国・地方行政が「同和地区」という線引きで差別を 固定化したことが第一の要因です。同和地区という差別から 逃避するため、住民たちが地域外へ流失移住していくことを行政 が促したのです。

 果たしてこれが差別解消政策と言えるでしょう か。差別逃避のために生まれ育った町を離れ、出身地を隠して生 き続けることが、真の幸せにつながるとは思えません。

 私たちは、ごく普通の人間として、共に社会の一員として地域の 発展に貢献したいと願っています。そのためには、駅前という地 の利を生かして崇仁地区の混住化を進め、誰もが気軽に訪れて楽 しめる新しい町を創出しなければなりません。崇仁協議会設立の基本理念 はここにあります。そのために私たちは、行政に「同和特別地 域」の解除を求めています。

エレベータも風呂も無い老朽化した団地 もう一つ。同和改善事業の一環として住宅改良事業があります。 今住んでいる古い家から立ち退かせて、住民を市営団地の中に収容しよう とするものです。これは前述した「同和」の名称と同じく、古い 家に住んでいた人たちが、新しいけれど狭い改良住宅(同和住宅) に寄せ集められるだけのことであり、決して差別の解消にはつな がっておりません。

 このように行政の考え方は、同和地区の現状 固定化にほかならず、真の差別解消とは程遠いものだと言わざる を得ません。

 行政は、「エセ同和行動」や一部落の一部のボス、また、政党の 利益誘導などに同和予算を執行するのではなく、底辺社会であえ ぐ母子家庭や身体障害者、貧困家庭の救済にこそ充てるべきでは ないでしょうか。

 私たち崇仁協議会とその会員一同は、真の意味での同和差別の解 消と同和地区の解放を宿願とするがゆえに、地区環境の改善改良 と、住民の雇用促進を始めとする生活の向上など に取り組んでおります。皆さまのご理解とご協力を心からお願い いたします。崇仁協議会 代表委員長 中口寛継


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