東京三菱銀行との闘い

欺瞞に満ちた詭弁

宮崎法律事務所の主張について

崇仁協議会 中口寛継


 宮崎法律事務所の弁護士が仮処分申請において、裁判所に提出した「報告書」をサイトで紹介してあります。この報告書だけを読むと、崇仁協議会を「東京三菱銀行から金を取るために設立されたエセ同和団体」であると断定したも同然の内容です。

 私たちにとってこれは、到底承服しかねる侮辱であり、また、現在の同和行政問題を利用して論理を根本的にすり替え、東京三菱銀行の落ち度から世間の目を欺こうとする目的であるとしか思えません。そこで、宮崎弁護士事務所の欺瞞に満ちた詭弁に対して、ここで反論することにいたしました。

 財閥としての三菱グループは、戦前においては軍部との癒着、アジア侵略の加担、被差別部落に対する抑圧など、我々を苦しめてきました。現在もなお、その体質は改善されておらず、東京三菱銀行側はチットブックという、単なる「内部処理用の手控え帳」という常識はずれな処理で出金しました。「どうせ教育もなく字もかけない部落民だから」とばかりに、私たちに対する対応を正当化しています。

 通帳も印鑑も持たない無権限者への出金や架空口座問題など、正当な名義人による返還請求に明確な回答も出来ず、我々部落住民の正当な要求を無視し続けています。これこそ、戦前からの部落差別。人間を圧力で押さえつける三菱グループの体質そのものです。

(1) 東京三菱銀行に対する抗議活動に参加しているのは、カネで雇われた者たちである。

 この主張は参加してくれている人たちに対する侮辱としか言いようがありません。もちろん、貧しい崇仁地区ですから、参加された方々が全くの手弁当で東京まで出てくるのは不可能です。ですから当会としては予算の許す限りにおいて、バス代をはじめ弁当代などの経費を負担しています。このことを宮崎法律事務所では「日当を払って人をかき集めている」として、私たちの活動を不当たらしめています。

 平成9年10月23日より、平成12年6月29日まで70数回のバスによる抗議活動や、7回に及ぶハンガーストライキなど、これらの抗議活動に参加した方々にお金を払っていたとしたら、それだけで莫大な金額になってしまいます。現在の崇仁協議会にそれほどの資金力があったとしたら、東京三菱銀行を相手取った民事裁判訴訟で、真っ先に必要とされる印紙代数千万円だって支払えるでしょう。これらの抗議活動は、地域住民の自主的な参加による糾弾抗議活動です。

(2) 木村弁護士なる人物が裏で糸を引き、会を操っている。

 木村澤東弁護士とは平成8年2月頃、前委員長・藤井鉄雄氏の刑事事件(覚せい剤など)の弁護活動を短期間(約3ヶ月)されておられた時に出会いましたが、それだけのことでした。

 ところが平成9年6月頃、私が崇仁協議会の傘下団体である「崇仁の地域町造りを進める会」を、地方自治法による認可団体として京都市より認可を受けるために活動しておりましたときに、木村弁護士は当時の京都市第一副市長と懇意な間柄であるとお聞きし、認可団体としての認可申請をお願いすることにしたのです。これが、東京三菱銀行の案件を依頼するきっかけでした。

 木村弁護士の父親は戦前、共産党員として地下活動をしていたときに、特高の追及から逃れるために一時崇仁地区に潜伏していました。それがきっかけで彼は「崇仁部落の差別を受ける人々」という映画を作り、全国を行脚して地下上映活動を行いました。

 今でこそ日本は民主主義国家として国民が自由に発言できる国になりましたが、歴史をほんの少しさかのぼりますと、私たち庶民には思想の自由すら無い暗黒の国家でありました。その時代の共産党員とは、戦争のおろかさや国家の横暴に反旗をひるがえした勇気ある人たちであったと私自身は尊敬しております。

 そういったこともあり、木村弁護士には色々とアドバイスを頂くようになりました。彼は次のように言いました。

「崇仁協議会の理念と行動は正しい。しかし今の藤井体制では早晩ダメになる。それに、同和特別地区の指定を解除し、線引きを廃止しなければ何も始まらない。そのためには地区住民の結束が大切であり、同時に東京三菱銀行事件を解決しなければならない」

 このとき私たちは崇仁地区の市営住宅屋上から、崇仁地区を眺めておりました。そして、地区の再生、開発、共生の町造りについて話し合いました。あとになっていろいろな問題が発生してきましたものの、私は、彼の横顔から、父親の歩んだ道を踏襲し純粋な理念のもとで社会的な理想を抱く人間の気高さを感じたのです。

 このことがあり、私たちは木村弁護士を単なる法律顧問ではなく、委員長代行としてお願いすることにしました。私をはじめ誰一人として、当時、木村弁護士が莫大な借金を抱え後日破産宣告を受けるなどとは想像だにしていませんでした。

 平成10年6月23日、私が東京三菱銀行前でハンガーストライキに入ったとき、木村弁護士が現場に来られて励ましてくれたのが、同弁護士とお会いした最後でした。以後、一度も連絡がなく音信不通です。結果として木村弁護士の存在が崇仁協議会にとってマイナスになってしまったのですが、私個人としては、市営住宅の屋上で話してくれたあの時の同弁護士の気持ちが本物であったと信じたいのです。

 当時、木村弁護士は大阪市北区西天満で市民総合法律事務所を主宰されておられました。中坊公平弁護士の門下として、東淀川公害訴訟、JR西日本信楽列車事故の弁護団長など、社会的な大事件を住民・市民側の立場で戦って来られた経歴を持っておられます。ですから私たち役員一同は木村弁護士を非常に尊敬しておりました。

 木村弁護士が多大な借金を背負ったのは、バブル期の株取引失敗によるものらしいのですが、あのときの木村弁護士は、崇仁地域の問題解決に向けて真剣に取り組む積りだったと思います。彼個人にどのような事情があれ、弁護士である以上は、崇仁協議会の主張に法的な根拠があったからこそ、委員長代行の責務を引き受けられたのではないでしようか。

(3) 中口は石油をかぶる振りをして銀行を脅した。

 このときの私の心境は、住民の血と汗の結晶である我々の生命金というべき貴重な財産が、強盗同様の巨大銀行に奪われてしまった事実を世間に明らかにしようという一念しかありませんでした。

 大銀行の中での焼身自殺を世間に知らしめることで、ことの是非を問おうと心底思いつめていたのです。住民の期待を一身に受けて、ヴェトナムの仏教徒のように心が高揚していた私は、信念のためならば死んでも悔いはないと考えていました。

 劣悪な環境のなかで教育を受ける機会を持たずに生きてきた私は、世間一般の例にもれずぐれた半生を過ごして参りました。何の目的もなく、流されるまま無意味な人生を送ってきたといってもよいでしょう。こんな私に、人として如何に生きるべきかを教えてくれたのが助け合いながら生きる崇仁地区の住民たちであり、また、藤井鉄雄その人でした。

 末期の藤井氏は、覚せい剤に汚染された挙句、評価も地に落ちてしまいましたが、協議会設立当時の彼は、崇仁地区というアンダーグラウンドの地を浮上させるべく理想に燃えて取り組んだものと確信しています。だからこそ、私をはじめ地区住民の多くが、同氏の強いカリスマ性に引き寄せられていったのです。つまり私たちの活動と生き方をもたらしてくれたのは、今の評価はどうあれ、藤井鉄雄氏であることは間違いありません。

 宮崎法律事務所は、私の焼身自殺覚悟の行動について銀行を脅すための芝居であると指摘していますが、誰が何と言おうと今となってはどうでもよいのです。私の、このときの本心を知っているのは、ほかならぬ私自身ですから。

(4) チットブックなど存在しない。正規の手続きを得た出入金である。

 平成5年2月頃でした。前委員長・藤井鉄雄氏と私、そして他2名で崇仁都市開発株式会社(京都市下京区七条河原町下る材木町/代表取締役・奥村竜二〔高谷側〕)で書類と資料の整理をしていたときにチットブックなるものを発見しました。このとき、その名称が「チットブック」であるとは知りませんでした。

 これが真実の取引によるものかどうかについて、当時の三菱銀行出町支店に何度か足を運び尋ねましたが、三菱銀行本店、出町支店ともにその存在すらも否認しました。時期的には平成5年、6年、7年ですが、この間ずっと彼らは否定し続けたのです。そこで私たちも、徹底的な資料検証や関係者の証言集めなどを行いました。

 ここで特筆しておきたいのは、京都市内の発砲事件や襲撃事件など、度重なる暴力事件はこの頃に始まったということです。サイトで紹介している地元紙報道を見れば一目瞭然です。

 平成7年6月23日だったと思うのですか、前委員長・藤井鉄雄氏と井尻修平氏(銃撃されて死亡)、他1名が、検証した資料をもとに無権限者に対する不当不正な出金に対する抗議を申し入れたときのことでした。当時の植草副支店長が「チットブック」なるものを私たちに提示したのです。これが「三菱銀行が提出したチットブック」です。

 このとき、三菱銀行出町支店は「このようにチットブックに高谷さんのサインを貰って払戻しをしているので、正規の取引です」と主張しました。もちろん、正規の取引明細書などは見せてもらっておりません。三菱銀行の言い分は「チットブックで払戻しをしているのだから正しく取り引きされているではないか」の一点張りでした。

 銀行取引に無知な私たちに「チットブック」なる意味不明の用語を教えたのは三菱銀行出町支店なのです。しかもそれを正規取引の証拠として提出したのは、ほかならぬ銀行側です。これでも私たちの主張は間違っているのでしょうか。あとになって弁護士立会いのもとで提示された入出金伝票などは、一例を挙げますと実際に出金した日の3日後に取引記録が記されているなど杜撰極まりなく、数字合わせのための内部工作を窺わせるに十分なものでした。

(5) 現在の崇仁協議会はニセモノであり、正当な要求の権利を持っていない。

 何をもってしてニセモノと決め付けるのか、といえば、前委員長の藤井鉄雄氏が「崇仁協議会は俺のもの」と主張したことを、宮崎弁護士事務所は根拠にしております。ある時は、藤井鉄雄氏の証言をウソだと主張し、またある時は彼の証言を盾に取って私たちの交渉要求を無視しております。

 しかも同銀行は、私たちの崇仁協議会について「構成員(役員)の変化こそあるが、崇仁協議会を継続した地域団体である」と裁判所の提出書類などで自ら認めております。あとになって正反対のことを言い出したのは、会の分断工作も含めて、東京三菱銀行がことを有利に運ぶための手法であるとしか思えません。

 住民の3分の2以上が参加している現在の崇仁協議会が正統でないとするならば、いったい何が正統なのでしょう。付け加えますと、前述の井尻修平さんが殺害されたときの状況は、宮崎法律事務所が示談に応じる姿勢を見せたときでした。しかし、その裏には様々な陰謀が渦巻いていたのかも知れません。これまで3度ほど、そのような機会がありましたが、そのつど何らかの形で交渉していた協議会員などに犠牲者が出ています。

v  もう一つ。北村耕之助氏(死去)らが反崇仁協議会の署名運動を開始したことを、宮崎法律事務所では私たちの会が正統でない根拠に利用しています。この署名運動に加担し、というよりも、煽った存在が誰であるかも、同法律事務所は指摘すべきでしょう。また、このときの署名運動の参加者が北村氏をはじめとするわずか3家族だけであったことも、きちんと指摘すべきではないでしょうか。

 参加人員1700名を突破する私たちの崇仁協議会がニセモノであり、わずか3所帯の団体を正式なものとして認めれば、東京三菱銀行の示談交渉は非常に簡単なものとなります。はっきり言ってしまえば、はした金で片をつけてしまうことも簡単です。この目論見は、署名運動が失敗したことから立ち消えとなってしまいましたが、実は、現在もまた、懲りずに協議会消滅の「裏工作」が行われていることが判明いたしました。

 離反工作と申しますか、個人的な欲を煽って崇仁協議会を乱立させたり、あるいは存在そのものを消し去ろうという動きです。このことによって「一番得をするのは誰か」、自ずと答えは導かれます。

 私たちにとっての命綱、それは全国の皆様、世界の皆様に、きれい事の裏に隠された「薄汚れた真実」を伝えていくことだけです。ご支援のほど何卒よろしくお願いいたします。平成13年7月17日