東京三菱銀行との闘い


崇仁協議会の決意


156億円もの大金はどのようにして作られたのか

 たとえボランティア団体といえども、資金が無くては組織の維持も活動も不可能だ。だから市民運動やボランティア団体などの非営利組織は、会員からの会費や寄付で運営費や活動費をまかなっている。しかし現実には、殆どの非営利団体が慢性的な財政難に陥っており、行政の補助金や企業の賛助金、チャリティバザーなどの事業収益を得て、ギリギリのラインで様々な支援活動に取り組んでいる。

 ある難民支援組織は、中国で越北難民の保護活動に取り組んでいるが、難民を匿うためのアジト作りや生活支援など、巨額の資金を必要とながらも、日本社会の無理解と無関心により多くの会員が自身の給与や生活費などを投入して「1人でも多くの難民を」と駆けずり回っている。

 この会のある役員は「それでも私たちの活動は、会員の浄財だけでは賄えません。ですから、理解のある大口寄付者の存在は非常にありがたいのです。かといって、高額寄付者だけで会が成り立つというものではなく、やはり多くの善意の方々がいてこそ、精神的な支えと励みになり活動にも力が入ります 」

 崇仁協議会は、地域の市民団体である。地区の同和指定解除とともに街の再生を目指して様々な活動に取り組んでいる。しかし、地域住民の夢を実現するためには巨額の資金を必要とする。そのため「ボランティア団体であっても事業を」という趣旨で運営されてきた。

 折りよくというべきか、ちょうどその頃、日本はバブルに突入、京都もこれに巻き込まれた。とくに老朽家屋の多い同和地区は、最適の物件として中央のデベロッパーや都市銀行などに目を付けられる。「どうせ企業に地上げされてしまうのなら、自分たちの手で適正な土地整理を行い、その収益で地域再生を」と、不動産取引が崇仁協議会の事業部門のひとつとなった。この収益金が東京三菱銀行出町支店から消えた156億円である。

 崇仁地区は格好のターゲットだった。

 京都駅前の崇仁地区は、バブル期に格好の地上げ対象地となった。消費者金融の武富士をはじめ、ホテル用地を求める大手資本などが競って地上げに乗り出した。ところが、この地域は「同和指定」地区であり、外部参入者が簡単に手を出せる場所ではなかった。

 こうした業者から話を持ち込まれたのか、それとも崇仁協議会の前委員長だった藤井鉄雄氏(解任済み)が業者に話を持ちかけたのか、今となっては当事者しか分からないが、崇仁協議会がこれらのデベロッパーたちとの窓口を引き受けることになった。

 やがて地価は大高騰してゆく。そのなかで崇仁地区の住民たちは何度もセミナーやシンポジウムを開き、地上げという名の土地整理事業による収益金をもとにした地域再生のシナリオを作り上げてきた。 バブルは、日本全国津々浦々で悲喜劇を巻き起こしたが、同和地区として地域外の京都市民と隔絶されたまま、行政から見向きもされなかった崇仁地区の住民たちにとっては、自分たちの手で自分たちの町づくりという夢を実現する絶好のチャンスとなったのだ。

 こうして得た収益金が「部落改善資金」としてプールされてゆく。東京三菱銀行出町支店に口座を設けた経緯は実に単純である。当時、同協議会の会計を務めていた高谷知伺氏の父・高谷泰三氏は、崇仁協議会とは無関係であったが、出町支店と付き合いが深いことから同支店での口座開設を推薦したのである。あとになって分かったことだが、高谷泰三氏と出町支店の木戸均副支店長は極めて昵懇だった。

 蓄積された預金総額は156億円に達したものの、結果として預金者ではない第三者に「チットブック」という不可解な手段で払い戻されてしまった。事件が判明して崇仁協議会があらゆる角度から調査したところ、この預金は個人の消費や暴力団への献金などに充てられていた。そこで崇仁協議会では、当時の委員長だった藤井鉄雄氏と高谷泰三氏、そして木戸均氏の3名を告訴している。

 結果としてバブルは、現在では想像もつかないほど巨額の収益を崇仁協議会にもたらした。ただ、会にとって不運だったのは、大金があるところには欲に目のくらんだ者たちが引き寄せられてしまうことだ。崇仁協議会の会員たちは、武富士などから依頼された地上げを無報酬で手伝っている。中口委員長をはじめ会員たちは、これらの取引で一銭の個人的利益も得ていない。

 ところが「崇仁協議会の隙あらば」と跋扈する魑魅魍魎たちは地域住民を懐柔したり脅したりした挙句、様々な事件を巻き起こした。とくに、東京三菱銀行の事件が発覚してからは、右翼が乗り込み会員を脅したり、連続放火事件も発生した。その挙句に、同会の役員が暴行され、1人は暴力団員に銃殺されるなど、凶暴性はエスカレートしていった。

 しかも、暴力の嵐はこれで終わったわけではない。今年4月27日夜間、中口委員長がホテルでの会合を終えて家に戻ろうとしたところを何者かに襲われ重傷を負ったのである。金属のバールらしきもので後ろから何度も殴りつけられたというもので、運良く通りかかった人がいなかったら、中口委員長は確実に殺されていただろう。

 時期的には、東京三菱銀行の株主総会に出席しようとして逮捕・拘置されていた中口氏が釈放され、崇仁協議会の臨時総会で再度代表者委員長に復帰したばかりであり、また、東京三菱銀行に対して臨時総会の議事録を郵送してから、一ヶ月もせずに発生した殺人未遂事件である。

 とはいえ、この事件と東京三菱銀行問題を関連づける訳には行かない。何も証拠が無いからだ。

 このとき、崇仁協議会では会の活動を広くアピールするためのホームページ作りをはじめており、東京三菱銀行の問題も含めてすべてオープンにするべく取り掛かっていた。折も折、振って湧いた委員長襲撃事件に、地域住民たちは大きなショックを受けた。しかし中口委員長は、病床にありながらも東京三菱銀行との闘いを今後とも続けてゆくとの決意を見せている。この事件は、会の結束を改めて高める役割を果たす結果となった。

 崇仁協議会役員の顔ぶれを見ていただけば分かるように、中口委員長をはじめ全員が純粋な気持ちで地域づくりを目指している。しかし、崇仁協議会の活動そのものに事業収益金が発生するために、これを狙う裏紳士たちが巧言をもって近寄って来たり、役員が暴力的な脅しを受けてしまうという逆作用が、残念ながら発生してしまうのは事実である。

 我々としては、明確な理念とともにアリ一匹這い寄る隙間のないよう運営を透明化し、結束を固めていくしかないと決意も新たに取り組んでいる。平成13年6月1日(崇仁協議会、役員一同)