藤井鉄雄という男(4)


少年院を経て


 少年院の生活は凄まじいものだった。中学校とは比べ物にならない。殴ったり殴られたり、そのたびに罰として独房に入れられる。次第に鉄雄は暴力というものに疑問を持つようになった。皆山中学で柔道4段の先生を包丁で切りつけたときはいい気分だったが、果たしてまっとうな喧嘩といえるだろうか。相手を倒すために手段を選ばないのが喧嘩とはいえ、やみくもに暴力をふるってしまった自分に空しさを感じるようになっていた。

 喧嘩に勝って胸がスカッとしたにせよ、養母を悲しませ不幸にしたではないか。面会に来てくれた養母は杖をついていた。

 「体に気いつけや。何事も辛抱やで」  

 常に鉄雄を励ましてきた養母に申し訳ない気持ちでいっぱいとなった。鉄雄は声を上げて泣いた。真面目になろうと心に決めた。

 少年院を出た鉄雄は、ある運送会社が雑役を募集していると聞き、履歴書を持って出かけた。しかし、人事係に「気の毒やけど、さっき決まりましてん」といわれたのは、履歴書に書かれた「少年院」が原因だった。そこで、定職につくまで新聞配達をと考えた。新聞配達に履歴書は要らないからだ。ちょうど、烏丸五条の新聞販売店が配達員を募集していたので、朝5時にその店に行った。  

 「あんた、七条の子と違うか。七条の子はあかんで」

「なんでや」

「ああ、軒のなかに入らんといて」

 今までの鉄雄なら、「何を」と喧嘩になっていたかも知れない。しかし、鉄雄は辛抱した。そして少年院帰りを隠し、ある倉庫会社に勤めることに成功する。必死で働いた。雇ってくれた会社に対する感謝の気持ちもあって、大人たちに交じって重い荷物を倉庫に運ぶ仕事を喜んで引き受けた。 しかし、少年院帰りがバレないだろうかと、内心ではいつもビクビクしていた。

 初めて貰った月給で、養母のために厚手の前掛けを購入した。廃品整理で使う前掛けが、ボロボロになっていたからだ。

「アホやな、わしのもんより自分のものを買えばええのに」

 鉄雄は、汗をかいて普通の人間として社会のなかで生きていくことに満足感を感じていた。だが、それは長く続かなかった。

 会社の業務が忙しくなり、臨時雇いが何人か入ってきたのだが、中の一人に目つきの鋭い男がいた。その男は、鉄雄と顔が会うたびに不審気に見つめるのだ。

「お前、皆山の鉄やろ。いつから猫になったんや。真面目くさった顔しやがって」

 ついにその男が鉄雄に声をかけた。荒れた時代に喧嘩をした相手だったのかも知れない。何もいえない鉄雄だったが、翌日会社を首になっていた。  

 毎日腹をすかせて職探しに奔走する日々。人手不足の時期だったが、「七条河原町」というだけで断られた。タクシーでさえも七条河原町には入ってこなかった時代である。

 次に見つけた仕事は、七条の人たちが大勢働いている屠殺場である。牛の足を運ぶ仕事だった。100キロもある牛の足を一本運ぶと200円になる。朝早くから夜11時まで必死に働き、自分が運んだ足の数を毎日きちんとメモにとった。

 さて、月末になって受け取った賃金は、思った額の半分しかなかった。聞いてみると、長靴、ゴムの前垂れ、肩当てなどの借り代と、仕事を世話した親方や、班を取り仕切る班長への礼など、ピンハネされたのである。その代わりに親方は、前借させると言う。ところが、その前借には高利がくっついていた。働けば働くほど前借が増え、4ヶ月目には前借返済のために働く結果となってしまった。必死で働き、何とか前借を返済してこの仕事を止めたものの、鉄雄は、借金に縛られて働き続ける七条の大人たちが理解できなかった。

 次の仕事は建築現場の人夫である。九条に住む韓国人のおじさんが紹介してくれたのだった。日雇いだったが、毎日の日当をきちんと払ってくれるので安心して働くことができた。このおじさんは長年の労働で体を酷使してきたため病気にかかっていた。ムリが効かないので働きたくても働けない。その極貧のなかにあって、鉄雄に仕事をと、助けてくれたのである。

 工事現場には監督と称する男たちがいた。サングラスをかけて、粋な格好をしている。ある日、そのなかの一人が鉄雄に近づいてきた。

「ボス。ボスと違いまっか?」

 サングラスを外した男は、皆山中学時代、配下においたリーダーの一人だったのである。

「何してまんねん。そんなもん運んで。うちへ来まへんか。わし紹介しまっせ」

 働かないで金を得ることに抵抗を感じていた鉄雄は、これを断った。ところが、それから数日後に養母が倒れてしまう。その頃、医者に診てもらうにも現金が無くてはどうしようもなかった。養母の医者代で一日の日当が消えた。それでも養母は一向に回復しない。医者の話によると、ストレプトマイシンという特効薬を与えればすぐ良くなるとのことだったが、その薬は高くてまとまった金が必要だ。当時5万円だと言われていた。鉄雄の脳裏に、かつての部下だった監督の姿が浮かんだ。

 そんな鉄雄に監督が持ちかけた儲け話は、ある会社の手形債権の取立てである。当時、サラリーマンの月給が15000円の時代に、300万円儲かるというのだ。鉄雄の取り分は150万円だという。しかし、これはれっきとした犯罪である。人並みの仕事をと考えていた鉄雄は悩んだ。

「捕まってもカネさえ隠せば、やるだけの値打ちはあるんと違いまっか」

 そうか。自分が犠牲になって大金を得ることができれば、自首して捕まっても、養母と韓国人のおじさんに薬を買ってやれるやないか。それにカネさえあれば自分がいなくてもしばらくの間生活できる。いつのまにか、昔の鉄雄が顔を出していた。

 鉄雄の仕事は見事に成功する。韓国人のおっちゃんに薬代として20万円を渡し、残りは、当時鉄雄が付き合っていた女性に、養母の世話を依頼して預け、堀川署に自首した。このときの仲間は全て逃げており、名乗り出たのは鉄雄一人である。恐喝の罪名で、1年1カ月の特別少年院送りとなる。

 あと三ヶ月で出所という10月。養母の死亡通知が届く。昭和34年だった。死因は栄養失調である。何のためにカネを預けたんやと、鉄雄はショックを受けた。出所してから分ったのだが、そのカネは養母の世話に使われず、実はこの女性が男を作り持ち逃げしていたのである。(次回は「内浜会」結成)