藤井鉄雄という男(3)


力こそ権力だと知った中学時代



 中学校は、七条河原町周辺の崇仁、菊浜、稚松の3学区を持つ皆山中学校だった。京都市内で一番柄の悪い中学だと言われていた。

 入学式。鉄雄はわざと遅れて学校に行った。制服がなかったからだ。少しでも目立つまいと考えた知恵だった。ところが、指定された席に着くと、全校生徒が異様なものを見るような視線で彼を見た。

 制服姿の中学生のなかで鉄雄は1人浮いていた。小学生のときから履いている短いズボン。Aのお古のオーバーと磨り減ったゲタ。それらは貧困の証しだった。生徒や父兄、教師たちから浴びせられる視線は、鉄雄にとって馴染みのものである。

 入学式が終りに近づいたとき、鉄雄の前に5人の上級生が現れた。その中の1人は制服のボタンを外し、真っ赤なシャツを見せつけていた。

「なんや、その格好は。皆山中学をなめてんのか」

「わいにはこれしかあらへん」

「制服もない貧乏人が来る所やないで。帰れ! なんや、そのチビた下駄は」

 そういうなり、上級生たちが飛びかかっていた。防ぐ間もなく袋叩きにされた鉄雄は、講堂にぶっ倒れた。それを上級生たちは代わる代わる蹴りつける。意識が薄れ、気付いたときは職員室にいた。

「このアホ。おい、うじ虫!」

 ぼーっとしていた鉄雄はその言葉にハッとした。それは、体の頑丈そうな若い先生から出た言葉だった。

「こいつのお蔭で入学式はメチャクチャや。おい、何とか言いさらせ。お前ら、あんな汚いところに住んでやがって、学校に入れてもらえるだけでも有り難いと思え」

 学校の先生がそう言ったのだ。

「おい、今うじ虫言うたな」

「それがどうした」

「その言葉、忘れんなよ」

「うじ虫みたいな身なりの奴が何を言うか」

 鉄雄は自分の前に待ち受けるものが何か思い知った。それは嘲笑、軽蔑以外の何物でもない。よろめきながら職員室を出た鉄雄は「こいつらをとことんやったる」と決意した。その手段は暴力でしかなかった。

 鉄雄の復讐は、まず上級生たちに向けられた。一人一人の家を調べ、片っ端から乗り込み襲ったのだ。まもなく鉄雄は皆山中学校のナンバーワンとなっていた。残るのは「うじ虫」と言った先生1人である。

 間もなく鉄雄は、皆山中だけでなく九条中、弥栄中などの番長クラスをいずれも倒し「皆山の鉄」の異名は京都中の不良たちに広まっていく。次に鉄雄がやったことは、悪ガキたちを一つにまとめ上げることだった。直接の部下として30人のリーダーを置き、リーダーそれぞれに5、6人の部下をつける。これで鉄雄の命令は、瞬時に末端まで伝わるようになる。

 鉄雄は、彼をうじ虫とののしった先生の授業を、全員に指示して拒否させたていたが、その先生は、鉄雄が廊下でタバコを吸っていても、顔をそむけて通るだけだった。

 貧困は、前にもまして酷くなっていた。養母が以前のように働けなくなったからだ。だが、30人のリーダーたちが調達してきた食い物や生活費が、鉄雄の家を支えていた。

 2年生の2学期、突然、市の教育委員会から「実の親が見つかった」との連絡が来た。名古屋の大きな食品店ということだった。たぶんにこれは、鉄雄の扱いに困った学校側が身元調査を行い、調べたものと思われる。

「何事も鉄雄君のためです」

 教育委員会の人に言われた養母が頷いた。

「お母はん、わいは行かへんで」

「お前は自分の幸せを考えなあかん。実のお母はんの所がええに決まってる。本当のお母はんがええに決まってる」

 悪ガキでも、所詮は子供である。養母に思いを残したながらも、鉄雄は実の親についてあれこれ想像した。そしてクリスマス前、実母の実家、鉄雄にとって祖母になる人の家で、母親が迎えに来るのを待っていた。

 ふすまが開いて母親が入ってきた。「悪かった」と涙を流してくれるのだろうか。だが、不安半分で見つめる鉄雄に向けた母親の視線には、困惑ととまどいしかなかった。鉄雄は、それを見逃さなかった。

 名古屋での生活は贅沢の極みである。上等の制服を着て、小遣いにも不自由しない。自分1人の部屋もあり、家庭教師もつけられた。しかし、鉄雄にとって場違いな場所という印象を拭いきれない。養母の身体も気にかかる。実母が口癖のように言う言葉も気にさわった。

「あんたはもう貧乏人の子やないんやから」

 ある日鉄雄は、思い切って実母に頼みごとをした。

「小遣いはいらんから、京のお母はんに仕送りしてくれへんやろか」

「ほっとき」

 鉄雄は「京に帰ろう」と決心した。名古屋に来て三ヶ月。正月にもらった多額のお年玉を持ち、大きな風呂敷包みに服や食料品を詰め込んで、駅に駆け込み京都行きの列車に飛び乗った。

 鉄雄が家に着いたとき、養母は家の前で廃品を整理していた。

「鉄、どうしたんや」

「わいのお母はんはあんたや」

 家に逃げ帰った翌日、実母が訪ねてきた。

「わいはこのうちの子や。お母はんはこの人や」

 実の子に言われプライドを傷つけられた母は、養母に「あんたはどう考えているのです」と詰問した。

「あんたがこの子を捨てはったときから、この子はわいの子供やと思うとります」

「そんならよろしいわ。そのかわり、これから一円のお金も出しませんから」

 春休みが終り、鉄雄は皆山中学校に戻った。学校にとっては災難である。しかし、鉄雄のいない間に彼の組織はかなり緩んでおり、建て直しに苦労した。鉄雄をけなした先生も、大きな顔で歩いている。鉄雄は、この先生と対決する決心を忘れてはいなかった。そのため、上着の下に出刃包丁を隠して持ち歩いていた。

 11月の終り。廊下でその先生が2人の女子生徒に何度もビンタを食らわしている現場に行き合わせた。女の子たちは顔を押さえて逃げようしている。

「どないしたんや。女の子やないか」

「不良に男も女もあるか。女だてらに廊下でたばこなんか吸いやがって」

「殴らんでもええやないか」

「口で言うて分かる奴らか」

 そのまま行こうとする先生を鉄雄は呼び止めた。そして彼の前でタバコを取り出し火をつけた。 先生は「止めとけ」と言わざるを得ない。

「止めんならどうするんや」

 すると猛者は思い切り鉄雄の顔を殴りつけた。体制を立て直した鉄雄は、即座に出刃包丁を取り出し、先生の頬に切りつけた。

「やめてくれ」

「おい、先公、うじ虫の力がわかったか」

 学校の廊下で教師を刃物で傷つける。これは大変な事件である。しかし鉄雄は、あの先生をやっつけたことで胸がスカッとしていた。だが、鉄雄からこの顛末を聞いた養母は「このままではすまへんで」と心配していた。

 事件は当然表沙汰になり、鉄雄は家庭裁判所に送られ、少年院送りとなる。一番の気がかりは養母の生活だったが、鉄雄が名古屋から持ち帰ったお金で姉と養母はしばらく食っていけるだろうと安心していた。(次回は特別少年院)