藤井鉄雄という男(2)


喧嘩に明け暮れた小学校時代



 鐵雄は崇仁小学校が好きだった。勉強はしなかったが、成績は常にクラスの上位に位置していた。ただ、一つだけ辛いことがあった。空腹である。

 給食ではなく弁当だったため、昼の時間になると彼は教室を抜け出した。校庭の隅にある砂場で砂をいじりながら同級生たちが昼食を済ませて校庭に飛び出すのを待つ。

 自分の家は人とは違う。空腹とともに訳の判らない不安が彼を襲う。それを誤魔化し、自分のプライドを維持するのに役立ったのがケンカだった。強い相手とケンカをして勝つことで、貧しさと空腹を克服できるような気がした。

「鉄、このごろお前喧嘩ばかりしてるな。お母はんが心配するで、やめとき」

 鉄雄は姉の言葉に反論した。

「姉はん、わいは国定忠治になるんや」

「なんや、それ」

「わいらみたいな貧乏人を助ける強い人や」

 小学校に上がる前、一度だけ、どういうわけか養母に旅回りの芝居を見に連れて行ってもらったことがある。芝居は「赤城の子守唄」だったが、忠治が悪者をやっつける場面に興奮した。

 帰り道、養母は「鉄、おもしろかったか」と聞いた。

「うん!」

「お前も国定忠治みたいな男にならなあかんで」

「うん!」

「弱いもんいじめする人間になったらあかん」

 ぼそぼそと、目をしょぼつかせながら言う養母。この言葉が、鉄雄の人生を位置付けたといってもよい。後年、自らヤクザ家業に身を沈めていった鉄雄だったが、自分より弱い者をいじめるような真似だけはしなかった。

 小学校時代の鉄雄は、自分より強い者とやたらに喧嘩をしていた。原因は単純であったが、特に金持ちの子を見ると無性に腹が立ったという。喧嘩をして家に戻ると、負けた相手の親から苦情が来る。養母は、鉄雄がやっつけた相手の家を謝って歩く。

 その頃の鉄雄の夢は、あつあつのコロッケを食べる事だった。コロッケは1個5円だったが、鉄雄には買えない。インスタントラーメンか、大根葉の雑炊が主食だった鉄雄にとって、コロッケは世の中で1番上等の食べ物だった。そこで、せめて匂いだけでもと、鉄雄はコロッケ店の前をよく通った。

 そんなとき、コロッケ店の前で同級生のAと合った。このAとは、将来にわたって付き合う関係になるのだが、同じ地区内であっても金持ちの家の子であり、父親は地区の有力者でもあった。テレビがあることを自慢して、つねに子分を3人ほど連れていた。

 Aは、子分たちにコロッケを分け与え、自分も頬張っていた。

「おい、こじきの子、ちんちんするならお前にも一つやるで」

「もういっぺん言うてみい!」

「なんぼでも言うたるがな。こじきの子はこじきや」

 瞬間的に鉄雄は相手の胸に頭突きをくらわした。コロッケを落として倒れたAをさらにゲタで蹴飛ばしたところ、子分たちは一切に逃げ出してしまった。Aは鉄雄よりずっと体格が良かったが、からきし弱くて抵抗して来なかった。しかし、強烈なしっぺ返しをその夜受けることになる。Aの父親が、頭に包帯を巻いたAを連れて乗り込んできたのだ。

「こらっ、泥棒猫。うちの子のコロッケを盗ろうして殴りかかったやろ。こんな怪我をさせてどうしてくれるんや」

「コロッケなんか盗ろうとしてへん!」

「この、嘘つきめ!」

「違う!」  養母が鉄雄の顔を悲しそうに見て、父親に「すんまへん」と頭を下げた。

「こんなことしたら、お前らの家がどうなるか、わかってんのか」

「すんまへん。鉄、お前もあやまり」

 何度も頭を下げながら、鉄雄を促すが彼はじっとして動かない。

「貧乏人は貧乏人らしくしとけ!」

 そういって父親は鉄雄の顔を何度も殴りつけた。思う存分殴りつけて気が済んだのか、彼らは出ていったが、鉄雄は養母に訴えた。

「お母はん、わい、盗ろうなんかしていいひん」

「わかってる」

 それでも鉄雄は喧嘩を止められなかった。自分の存在を主張するただ一つの手段だったからだ。近所の子供が苛められているのを知ると、飛んでいって助けた。しかし、売られた喧嘩や弱い者を助けるための喧嘩でも、鉄雄が悪者になる点ではいつも同じである。それでも、鉄雄の周りには貧乏人の子ども達が集まるようになっていく。

 当時、子どもの熱中する遊びとしてビー玉やメンコがある。鉄雄は、これを見て一つのアイデアを思いついた。「賭け」だ。メンコめくりやビー玉を賭けの対象にしたのだった。多分にこれは、大人たちが行なっている賭けを真似たものであろう。

 賭場は鉄雄の家の前の児童公園だ。テラ銭を取って胴元をやった鉄雄の手元にはお金が入るようになっていった。ある日、70〜80円の金を稼いだ鉄雄は、念願のコロッケ店に走りこんで2つ買った。夢にまで見たアツアツのコロッケである。それは想像以上に美味しかった。

 残ったお金は、養母のサイフにそっと入れておいた。毎日、サイフのなかにお金が入っているのを不審がった養母が「これ、どうしたんや」と聞くと、

「心配せんでもええで。盗んだんとちゃうから」

「鉄、悪い大人の真似したらあかんで」

 そう言ったなり、養母は黙り込んでしまったが、鉄雄が何をしているか薄々感ずいていたはずだ。しかし、その金でみんなが食べていける。養母にとってそれは矛盾する苦しみであっただろう。

 メンコ賭博の参加者は日を追うごとに増えていった。賭けをする子供、見物する子供で公園には200人もの子ども達が集まり出した。大人がだまっている筈はない。通報されて駆けつけた警察官に、首謀者ということで連行されてしまう。 警察にとっては少年犯罪至上、最年少の逮捕・補導ということになる。だが、鉄雄に罪の意識はなかった。それよりも、自分の収入が途絶えれば家計を助けられなくなるという困惑のほうが大きかった。

 4年生になった。鉄雄は小学校を牛耳っていた「ナンバワン」(番長)グループと対決することになる。ある日鉄雄は、生徒会役員に因縁をつけているナンバワンたちと出くわした。みんなで決めた規則を守れと、役員が注意したことが発端らしい。彼らは、生徒会の役員3人を壁に追い詰めて脅していた。

 この時、他の生徒たちだけでなく先生も遠巻きにしていたが、誰も助けようとはしない。鉄雄は生徒たちをかきわけて生徒会役員の前に出た。

「何してんねん」

「お前、鉄か。チビのくせに度胸あるやないか。表に出ろ」

 このときナンバワングループは5人居た。騒ぎを知って校庭に生徒たちが集まってきた。教室の窓からも、みんなが鈴なりになって見ている。

「1人に5人は卑怯やぞ」

「頑張れ、チビ」

 生徒たちの声援を受けた鉄雄を5人が取囲む。これまでの喧嘩から、鉄雄は相手を倒すコツを知っていた。まず最初に1番強いヤツをやっつければいいのだ。

 自信満々で飛び掛ってきたナンバワン。素早く身を交わして、相手の腹に飛び蹴りを入れた。うずくまるナンバワンのアゴをゲタで蹴り上げたところ、相手は唸り声をあげるだけで動かない。これを見ていたナンバワンの部下たちは、あっという間に逃げていく。

 全校生徒から拍手があがり、照れた鉄雄は校庭から逃げ出したが、「崇仁の鉄」の名はこの事件をきっかけに広まっていく。鉄雄が、決して弱い者いじめをしないことから、鉄雄のすることを先生たちも放置するようになった。

 コロッケの件で喧嘩したAも、他の生徒とともに鉄雄のそばに集まるようになった。Aは、家から持ち出した米や野菜、たまには高価な牛肉などをもってきた。鉄雄はそれらを遠慮なくもらい、養母に渡した。

 Aの父親も、年老いた養父母に何かと付け届けをしたらしい。最初、その行為を気味悪がった養母だったが、その頃養父が寝たきりになっていたので、その好意を受けたという。

 鉄雄から見ると、養父の存在は影が薄い。身体が弱いこともあったが、物静かな人だったようだ。以前、この養父は骨身を削って貯めた300円を元手に子ども相手の花火店を始めようとしたことがある。ところが開店当日、近所の子どもの不始末で、仕入れた花火全部が燃えてしまった。養父はこの時「しゃあないなぁ」と言っただけである。

 養父は、鉄雄が来年は中学校という年の暮れ、世間が正月準備で気ぜわしい最中に亡くなった。死因は栄養失調だ。後年、鉄雄は、養父の生き方に思いを馳せた言葉を残している。

──正月準備で活気づく世界とは、全く別の世界で1人の男が貧乏のために死んだ。この男の人生は何だったのか。養母と2人で、自分を含めて3人の子を拾い育てる。子どものために、自分はろくに食いもせず痩せこけて死んで行った──

 養父の葬式は、Aの父親が采配を振ってくれた。葬式といっても何もない。棺桶代わりの四斗樽を用意し、遺体を火葬場に運ぶバスを京都市に掛け合って提供してもらった。Aの母親は、鉄雄の夏服姿を見かねて、Aのお古のオーバーを着せてくれたが、この時鉄雄は、オーバーというのがこんなに暖かいものだと始めて知った。

 バスに同乗して火葬場に行くと、女の事務員が「あんた七条やな。待っとり、すぐ焼くから」と、まるでゴミでも焼くような口調で言ったが、鉄雄たちは無料で焼いてもらう立場なので何も言えない。 

 ところが、焼き場で働いていたのは、近所のおっちゃんだ。おっちゃんは養父のことをよく知っていた。

「可哀想に。貧乏した挙句こんなに痩せてしもうて」

 彼は「金持ち」を焼く上等なところで養父を焼いてくれたのだった。鉄雄は、死んで焼き場に行っても貧乏人と金持ちの差別があることを知った。

 さて、鉄雄の小学校時代は、喧嘩に明け暮れて終わったわけではない。殆どの先生は「七条の子」たちを無視した。鉄雄と出会うと顔をしかめて避ける女の先生もいたが、B先生だけは違った。

 B先生の推薦で、6年生のときに崇仁小学校を代表して京都の小学生の実力試験に参加したことがある。鉄雄の成績は600人中3番であった。

「鉄雄君、こんなに出来るんやから少し勉強してみないかね」

 そうは言われても、鉄雄には勉強する余裕などない。いつも空腹で、それを紛らわすための喧嘩に明け暮れるか、そうでなければ養母の廃品回収を手伝っていた。

 ある日B先生が鉄雄を呼んで「今夜、うちに来ないか」と言う。何時頃が良いかと聞き返すと「夕飯前がいいなぁ、1人で来いよ」。

 鉄雄が先生の家に行くとキツネ丼が用意されていた。生まれてはじめて食べたのがこの丼である。B先生が入れてくれたお茶も、初めて飲むものだった。

「もう1杯いけ」

 お代わりをくれて、鉄雄は2杯目も米粒一つ残さずに平らげた。

「鉄雄君、先生の家も貧乏でなぁ、ろくにメシを食えなかったんや。本当に貧乏したもんでないと、貧乏人の辛さはわからんもんやけど、負けるなよ。腹がへって暴れたくなったら、いつでもうちに来いよ」

 近所の、貸し本屋のおっちゃんも鉄雄を可愛がってくれた一人である。鉄雄は本を読むのが好きだった。太閤記や徳川家康など、子供のころから歴史モノが好きだったという。ところが本を借りたくとも金がない。

「鉄ちゃん、遠慮せんでエエで。本は読んで減るもんでもない。どんどんお読み」

 無料で読ませてもらうのだからと、鉄雄もできるだけ大切に本を扱った。このおっちゃんは、たまに鉄雄が金を払おうとしても、決して受け取らなかったそうだ。

 仮に鉄雄が、喧嘩の弱い子どもであったとしたら、彼のその後の人生は今とは似ても似つかないものになっていたのではないか。

 人生には多くの「イフ」がある。それらを一つひとつ選択しながら我々は生きているのだが、鉄雄の育った環境とともに、鉄雄自身が生まれつき持っている資質、負けず嫌い、自尊心、そうしたものと環境が組み合わされて、1人の人間の、人生の糸がつむぎ出されていくのだろう。(次回は中学校時代について)