藤井鉄雄という男(1)


また、捨て子か


崇仁地区の地域再生を理念した崇仁協議会を創出したのは、藤井鉄雄である。三菱問題発覚以後、様々な批判が巻き起こり、委員長解任・逮捕に至り、現在の崇仁協議会とは関係のない存在となっている。

だが、崇仁地区の住民たちが同和地区の指定解除と再生の街造りを目標として地道な活動を続けるようになったのは、藤井鉄雄という存在があってこそである。地区には彼に対する批判者も信奉者もいるが、藤井鉄雄が、なぜ崇仁協議会を作ったかの経緯を抜きにして、この地区の全てを語るわけにはいかない。

彼の半生、子供時代、荒れたヤクザ稼業に明け暮れた時代、そして「貧乏がいかんのや」と地区再生を目を向けた時代などを振り返り、崇仁地区を考えてみたい。ここでは、竹井出版社から発行された「生きる。自由への闘い」をもとにした藤井鉄雄の生き様を何回かに分けて紹介する。なお、本文は藤井鉄雄自身を肯定する意味ではないことを念の為に申し添えておく。



京都を代表する一つに鴨川がある。この美しい川の一条以北は、その昔、貴族の産湯の儀やみそぎの場として使われた。しかし、幕末になると三条から四条にかけては暗殺、晒し首など死体を遺棄する場となった。そして七条まで下った湿地帯では、毎年のように氾濫し多くの死傷者を出した川でもある。

この付近の河原には、貧しい人たちが集まり集落を作って住んでいたが、長い間京都ではこれを「恥部」として隠し、また無視し続けてきた。これが崇仁地区である。

「鉄雄、昭和24年2月9日生まれ、満二歳、この子をよろしくお願いします」

雪の降る夜。一升の米が入ったズタ袋と名札を首から吊らされた藤井鉄雄が捨てられていたのは、塩小路橋のたもとだった。泣き声を聞きつけたのは、廃品回収を終えて家路を急ぐ老母である。

橋の上で耳をすませてた老母は「また、捨て子か」と思いながらも、土手に下りていった。この老母が、藤井鉄雄の養母である。鉄雄は3人目の子供で、老母は彼を極貧のなかで我が子のように育てたのだ。

養母の家は古びた4軒長屋の端にあった。新聞紙を張り固めた壁に、家の中からでも夜空が見えたという。この4畳半一間で、養父母は3人の子供たちの面倒を見たのである。

敗戦のショックから立ち直りかけた時代で、日本経済復興の兆しが見えていた。しかし、崇仁地区にその兆しは届いていなかった。毎日の暮らしは成り行き任せ。地区の大人たちが食べ物を得る手段は肉体労働しかなかった。だが、老いた養父母には無理な話だった。

養父は、声がかかると屠殺場の後片付けに出かけた。わずかの日銭をもらって、その日の食事代にした。声のかからない日、こちらの方が多かったのだが、老父母は真冬だろうと鴨川や高瀬川に浸かり鉄くずや空き缶の回収に精を出した。凍えながら2人で働いて、やっと50円か60円を得ることができる。当時はインスタントラーメンが1個20円ほどで買えた。

日々の生活はどん底の極貧であった。それでも養父母は、自分たちが食べなくとも子供らに食べ物を与えるという人たちだった。とくに養母は、子供たちだけでなく全ての人に対して暖かい心遣いを示した。

こじきが門口に立つと「こんなものでよかったら」とかす汁を振舞う老母。その日の、唯一の食事である。鉄雄が文句を言うと、老母は次のように答えたという。

「貧乏していても、心まで貧乏になったらいかん」

無学で、字も読めない老母だったが、3人の子供を分け隔てなく育てながら、生き方を伝えていった。口癖のように鉄雄に言ってたのが次の言葉だ。

「人間、他人を恨んだら絶対にあかん。一生懸命働くことや。働いていればきっと良いことがある。働いておれば必ず良いことが回ってくる」

ある日鉄雄は、養母にいえない無理を言って姉を困らせた。

「姉はん、わい、おもちゃが欲しい。動く自動車や」

「そんなもの買えるわけあらへんやんか。鉄、買えんけど、そのおもちゃ見に行こか」

鉄雄は、姉に手を引かれ鳥丸七条の角の大きな玩具屋に連れていってもらった。たくさんのおもちゃが並ぶなか、鉄雄は思わずゼンマイ仕掛けの自動車に触ろうとした。

「鉄! 触ったらあかん!」

姉が大きな声で叱った。

「なんでや?」

「なんでもや。見るだけゆうたやろ、触ったらあかん」

姉は、両手を後ろに回していた。鉄雄は、おもちゃを手に取っている子供たちをポカンと見ていた。

「お前ら、内浜(現在の崇仁地区)の子やろ、はよ帰り、帰り」

店のおっちゃんが、鉄雄の触った自動車にハタキをかけながら追い出した。鉄雄が、はじめて体験した差別である。

(七条の子はカネを持っていない。だから、触ると盗むと思われる)

 姉はそう言いたかったのであろう。玩具屋だけでなく、菓子屋でもどこでも、手を後ろに組んでそっと見る。これが地区の子供たちの身につけた知恵だった。

こんなことがあった。養母が風邪で寝込んだため、鉄雄と姉は七条から少し離れた青果店に使いに行った。ここは買った客にダイコンの葉をタダでくれるからだ。

買い物を済ませておカネを払おうとすると、2人の服装を見ていた店のおっちゃんが「あんたら、七条の子やろ」と言った。姉が頷くと「葉っぱはタダでやるけど、お金はそのタライで洗ってから払てんか」

姉は、丁寧におカネを洗っておっちゃんに渡した。

「七条の人間は貧乏やからか。だけど、なんでお金が汚いんやろか」鉄雄は胸につかえるものを感じた。

「姉はん、なんであんなことをするん」

「ええがな、何でも辛抱や。お母はん、いつもそう言うてるやろ」

差別の何たるかを知らないものの、鉄雄は自分たちが世間からどういう目で見られているかをいやというほど思い知らされたのである。(続く)